赤外分光法は、赤外光と物質の相互作用を利用した化学分析技術の一つです。赤外光は、可視光とマイクロ波の間の電磁波の一部で、波長は780 nmから1 mmの範囲にあります。
ところで、分光学では歴史的な理由により、赤外光を波長ではなく波数で表現するのが一般的です。波数とは、単位長さあたりの波長の数を示すもので、単位はcm-1です。波長が短くエネルギーの高い光ほど波数が大きく、波長が長くエネルギーが小さいほど波数は低くなります。
赤外光はさらに、 近赤外(NIR)、中赤外(MIR)、遠赤外(FIR)の3つに分類できます。波長が短く波数が大きいNIR、波長が長く波数が小さいFIR、その間に位置するMIRです。
一般的に赤外分光法では、MIRが使用されます。この領域の赤外光は、化学物質の重要な性質である分子振動の周波数と一致するため、有用な情報が得られます。
化学物質を構成する原子は、常にさまざまな動きや振動を繰り返しています。水のような単純な分子でも、対称伸縮、非対称伸縮、対称面内変角(はさみ)、非対称面内変角(横揺れ)、対称面外変角(縦揺れ)、非対称面外変角(ねじれ)という6種類の振動モードがあります。
これらの振動は、それぞれ化学結合や化合物に固有の異なる周波数で発生します。前述したように、それらの周波数は、MIR領域の光の周波数と偶然一致します。
振動周波数が赤外光の周波数と一致するため、化合物は赤外光を吸収し、分子の振動を励起することができます。
例えば、水の対称・非対称伸縮振動は3700~2700cm-1の範囲に、変形振動は1650cm-1付近に発生するため、水はこれらのエネルギーの赤外光を吸収することになります。
赤外光を水に通すと、一部の周波数の赤外光が吸収されるため、検出器を用いて吸収された周波数を特定することができます。
検出器に到達した赤外光の情報をプロットすることで、赤外スペクトルを作成することができます。このスペクトルは、赤外光が試料を通過する際に、どの周波数の光が試料に吸収され、どの振動が励起されたかを示しています。
水分子では、対称伸縮と逆対称伸縮、および変形振動の周波数に対応する波数の吸収ピークがスペクトルに現れます。
このように、化学種ごとに異なる周波数の振動モードをもつため、結果として得られるスペクトルは各化合物ごとに異なります。つまり、赤外分光法は「化学的指紋」を作成し、ほぼ全ての化学種の同定と定量に利用できます。
長年にわたり、膨大な数の化学種の情報がスペクトルライブラリにまとめられ、赤外分光の理論的な知識がなくても、非常に理解しやすくなっています。
赤外分光法は、赤外光を用いて分子の振動を検出する化学分析手法の総称として定着していますが、最もよく使われる手法はフーリエ変換型赤外分光法(FT-IR)です。
歴史的に見ると、赤外分光法は、試料に吸収される赤外光の各周波数を個別に確認して測定されていました。 これは、非常に時間のかかるプロセスであることが容易に想像できます。この従来技術は、干渉計を用いて赤外光の全波長の吸収を一度に測定できるFT-IRに置き代わりました。
FT-IRは、従来の赤外分光法よりもはるかに測定が速いだけではなく、シグナルノイズ比が高く、より正確なデータを取得できます。しかし、この手法では、従来の赤外分光法とは異なるデータとなるため、測定後にフーリエ変換と呼ばれる数学的処理を行い、データを赤外分光法から得られる馴染みのある赤外スペクトルに変換します。
FT-IR分光法の際に使用できる主な測定手法は、透過法、全反射法(ATR)、反射法の3つです。どの手法もFT-IR分光法の基礎となる理論に基づいたものですが、試料を分析するプロセスが若干異なるため、目的に応じて最適な手法を選択する必要があります。
透過法は、赤外分光法の "原点 "ともいえる測定手法です。透過法では、赤外光が試料を通過するとき、一部の波長の赤外光が吸収される原理を利用します。このとき、赤外光が試料に完全に吸収されずに通過する必要があります。試料が厚すぎる、または濃すぎると赤外光が通過できず、赤外光が全吸収されてしまいます。このような場合、スペクトルの質が低下し、試料の同定を難しくします。
そこで、試料を薄くしたり、濃度を希釈することで、全吸収は避けることができます。試料を希釈するためには、赤外光を吸収しない物質を使用する必要があります。このような物質を使用しなかった場合は、物質自体の吸収もスペクトルに現れることになります。
液体試料を分析するためには、液体を溶媒で希釈する必要がある場合、希釈溶媒としては、四塩化炭素(CCl4)がよく使用されます。通常、固体試料を分析するためには、固体を粉砕した後、中赤外領域の赤外光を吸収しない臭化カリウム(KBr)と混合する必要があります。この混合物をプレスしてペレットを成形し分析します。また、試料を非常に薄くスライスしてKBr結晶の窓材上に置いて測定することもできます。この試料調製は、試料が非常に薄い場合(<15 µm)にのみ省略可能です。
透過法では、正確なスペクトルを取得するために、試料の調製作業に時間がかかり、多くの労力を必要とします。さらに、調製することで試料は元の形状が損なわれることもあります。そのため、透過法は、主にポリマーフィルム、タンパク質、水中の油を含む試料の検査など、特定の分光用途に使用されています。一方、法医学分野においては、FT-IR顕微鏡を用いて、組織片やマイクロプラスチックの分析など広く用いられています。
ATR法は、試料の前処理を最小限に抑え、非破壊で測定できることから、現在では主要な測定手法として透過法よりも多く使用されています。ATR法で測定を行うには、試料をダイヤモンド、ゲルマニウム、セレン化亜鉛などでできたATR結晶の上に置くだけです。赤外光は結晶を透過して試料に照射され、特定の波長について部分的に吸収されます。その後、再びATRプリズムを透過し検出されます。
この技術では、赤外光は試料表面の数ミクロンのみ相互作用します。赤外光は透過光のように試料を完全に通過しないため、ATR法を用いた赤外スペクトルの取得には、ほとんど試料を調製する必要がありません。このように、ATR法は非常にシンプルな手法であると同時に、どのような試料を分析する場合でも、非常に高品質なスペクトルを取得することができます。
ATR法と透過法では、2つの技術の違いにより、わずかに異なるスペクトルが得られることを知っておく必要があります。このスペクトルの違いは、ATR法における赤外光の試料への潜り込み深さ及び屈折率の波長依存性によって生じます。 しかし、ATR法と透過法で得られるスペクトルは非常に類似しており、この差はソフトウェアの機能で簡単に補正できることから、異なる測定技術で得られたスペクトルを直接比較することができます。
反射法では、試料を透過した赤外光ではなく、試料表面で反射した赤外光が検出されます。透過法やATR法での測定が困難または不可能な固体試料に有効です。反射法は、測定する試料によって様々な方法があります。
拡散反射法(DRIFTS)は、試料調製が必要なため少し手間がかかりますが、土壌やコンクリート、触媒などの固体試料を分析する場合、優れた定量結果が得られます。
反射法は、ATR法と同様に、赤外光と試料との相互作用の違いにより、異なるスペクトルが生成されますが、ソフトウェア上で補正することができます。
赤外分光法には、主に「定性」と「定量」の2つの用途があります。
赤外スペクトルは化学種の「化学的指紋」のようなものであるため、長い間、赤外分光法は定性分析に使用されてきました。このため、赤外分光法は試料にどのような物質が含まれているかを特定する強力な分析法であり、実験室だけでなく、あらゆる産業において貴重な化学物質同定ツールとなっています。FT-IRは、科学捜査、プラスチックリサイクル、故障解析、品質管理など、さまざまな分野で識別のために使用できます。
FT-IRは、複数の物質からなる試料中の成分を定量するためにも使用できます。個々の成分は、その成分の濃度が高ければ高いほど、赤外光を強く吸収します。ソフトウェア上で、吸収された赤外光の量を分析することで、各成分の濃度を簡単に知ることができます。FT-IRは、試料の性質にも依りますが、正確な定量結果を得ることができます。そのため、製薬業界、土壌科学、タンパク質の生物学的研究などの分野での定量的な用途に有用です。
赤外分光法は、1800年代の赤外光の発見に端を発します。イギリスとドイツの天文学者であるウィリアム・ハーシェル卿は、光の色によって温度が異なるという仮説を立てました。彼は、プリズムを使って光を分離し、温度計でそれぞれの色の温度を計測することでこの仮説を検証しました。
温度計を紫色から赤色へと光の色を変えていくと、温度が上昇していくことがわかりました。そこで彼は、不思議なことに気がつきました。温度計を赤い光の先に置くと、温度はさらに上昇したのです。彼は、赤い光の先にもう一つの見えない光があると考え、これを「熱線」(ラテン語で熱を意味する「calor」)と名づけました。さらに実験を進めると、まさにその通りの結果が確認されたことで、彼は現在赤外線と呼ばれている新しい光の形を発見したのです。
1900年代初頭、ウィリアム・ウェーバー・コブレンツは、赤外光が物質と相互作用することを発見し、赤外光を化学分析に利用する可能性に気づきました。コブレンツは最初の赤外スペクトルを取得し、さまざまな化合物を特徴付けるために必要なデータを収集しました。商業的に利用可能な赤外分光計を製作するには、当初いくつかの課題がありましたが、1940年代には最終的に1台が市場に出回るようになりました。赤外分光法は1900年代を通じて改良され続け、1970年頃にはFT-IRが赤外分光法に革命をもたらし、1980年代後半にはATR法が誕生しました。
赤外分光法の歴史は古くからありますが、現在でも非常に強力な化学分析技術であり、毎年新しい用途や進歩が行われています。 例えば、最近の赤外レーザー技術の発展により、生体分子の構造解析など、まったく新しい研究分野に赤外分光法を簡単に適用できるようになりました。 また、赤外分光法は、他の多くの技術との組み合わせにより、化学分析ツールとしての影響力をより一層高めています。赤外分光法の使いやすさと応用範囲の広さは、今後も新しいエキサイティングな用途を見いだし続けることを保証しています。
赤外光とFT-IRの原理を活用できるのは、赤外分光法だけではありません。従来の顕微鏡技術とFT-IR分光法を組み合わせたFT-IR顕微鏡もあり、強力な特性評価とイメージング技術を実現しています。
ラマン分光法は、化学振動を利用した化学分析手法の一つで、分析試料の構造に関する詳細な情報を得ることができます。赤外レーザーの使用は、赤外分光法に最近加わったもので、詳細な分光分析を行うことができ、新しい研究分野への洞察を得ることができます。
赤外光とは?
赤外光は、可視光よりも長い波長を持つ電磁波の一種です。そのため、人間の目には見えませんが、熱放射という形で認識することができます。太陽から放射されるエネルギーの半分以上は、赤外光の形で地球に到達しています。
赤外光は物質とどのように相互作用しますか?
赤外光を物質に照射すると、分子や原子の結合の動きを刺激することができます。この動きは、回転や振動などさまざまな形をとることができます。分子がどのように励起されるかによって、照射された物質の構造や同定に関する情報を得ることができます。
赤外光はすべての物質を分析できますか?
一般的には、有機物も無機物も赤外光で同じように分析することができます。赤外光を使った分析の基本条件は、物質が赤外光を吸収することです。ただし、金属単体や単原子ガス(希ガスなど)を含む一部の物質は、直接分析することができません。
どのような物質がよく分析されていますか?
特に有機物に対して、赤外分光法は多くの情報を得るために頻繁に使用されるツールです。これには、ポリマー、薬物、医薬品、及び工業薬品の同定や、油中の水のような内容物の決定が含まれます。赤外分光法は非常に柔軟で、その応用範囲は非常に広いため、あらゆる産業や研究分野でそのユーザーを見つけることができます。
どのような分析が可能ですか?
赤外分光法では、試料が何でできているかはもちろん、ある成分がどれくらい含まれているか調べることができます。定性分析は、赤外分光法の最も一般的な用途で、主に原材料の品質管理、故障解析、科学研究などにおいて使用されます。定量分析は、工業プロセスにおいて生産パラメーターを評価するために広く使用されています。
赤外分光法を使用するには専門家である必要がありますか?
いいえ、専門家である必要はありません。現在、赤外分光計はとても使いやすくなっています。ほとんどの場合、簡単なソフトウェアソリューション(タッチ操作など)があり、専門家でなくても複雑な操作はなく測定することができます。分析さえも自動化できるので、誰でも分光学者になれます。
測定にはどれくらいの時間がかかりますか?
これは、分析の方法、目的によって大きく異なります。例えば、化学物質の同一性を確認する程度であれば、1分もかかりません。
全反射吸収(ATR)法とは?
ATR法は、赤外情報を得るための特殊な測定手法です。赤外光を透過する材料(ダイヤモンドなど)で作られた結晶に赤外光を照射すると、その放射光は、ダイヤモンドに密着している試料と相互作用します。詳細については、ATR法の基本に関する動画をご覧ください。
どのような場合に、ATR法を使用できますか?
ATR法は普遍的なアプローチのため、ほとんどの試料に対して使用できます。固体、液体、有機物、無機物のいずれの試料でも、採取して結晶の上に密着させるだけです。試料を切断したり、希釈したりする必要はありません。この数十年で、ATR法は赤外分光法における標準的な手法となりました。
透過法とは?
透過法は、ATR法とは異なり、赤外光が試料全体を透過する必要があります。そのため、試料は非常に薄くするか、希釈する必要があります。希釈には、臭化カリウム(KBr)粉末が使用され、試料とよく混ぜた後に成形されたペレットが測定に用いられます。一方、非常に薄い切片試料をミクロトームを用いて作成し、KBr板の上に乗せて測定することもできます。これらの調製には、多くの時間と労力が必要とされます。
どのような場合に、透過法を使用できますか?
現在では、透過法の使用頻度は減少しており、その用途は限られてきています。例えば、溶液中の低濃度成分の定量や、赤外顕微鏡を用いての測定などに用いられています。また、特定の産業分野(主に製薬)では、透過法を必要とする標準的な規格があります。
反射法とは?
反射法は、赤外分光法における3番目の主要な測定手法です。赤外光の反射に基づき、物質の表面情報を得ることができます。粉末試料については、KBr粉末による希釈が必要な場合があります。また、非常に薄い試料は金属上に乗せて測定することも可能です(透過反射法)。
どのような場合に、反射法を使用できますか?
反射法には特別な要求が必要とされることがあるため、限られた分析目的に使用されます。例えば、貴重な美術品を完全に非破壊で慎重に検査でき、修復することも可能です。