電子スピン共鳴(ESR)は、サンプルに含まれているフリーラジカルの濃度と組成を測定する方法です。サンプルは液体・固体・気体のいずれでも構いません。フリーラジカルは、非常に反応性に富んだ不対電子を持つ原子種や分子種です。安定しているフリーラジカルも多く、髪の毛のメラニンやウルトラマリンブルー顔料がその一例です。多くの遷移金属や希土類金属は不対電子を有しているので、ESRアクティブです。一部の鉱物(アメジスト、煙水晶、ホタル石など)はその色が不対電子に由来しており、これらの物質もESRアクティブです。
ESRは電子常磁性共鳴(EPR)とも言い、NMRやMRIと同様に磁気共鳴分光法の一種です。NMRやMRIでは原子核が電磁放射線(EMR)と相互作用を起こしますが、ESRでは1つないし複数の不対電子が電磁放射線と作用します。
すべての原子核がNMR活性であるわけではありませんが、ほとんどの化合物はNMR信号を有しています。ただ、ESRの場合は事情が異なります。どの磁気共鳴法においても、原子核や電子の磁気モーメントと作用するのは電磁放射線の磁気成分です。スピン対電子は磁気モーメントが0なので、ESRには反応しません。
ESRでは、高周波共鳴キャビティにサンプルを挿入して、均一な磁場をゆっくり変化させて測定を行います。不対電子に固定周波数のマイクロ波を照射すると、特定の磁場において図1の方程式で表されるようなスピン「加速」状態とスピン「減速」状態の間の共鳴遷移が起こります。g因子は磁場の共鳴状態を表しており、共鳴ピークの振幅はサンプル中のラジカルの濃度によって決まります。
ESRの効果が初めて測定されたのは1945年のことでした。可変磁場を発生させる水冷式大型電磁石を搭載するESR分光計の構造は昔から変わっていません。その多くが比較的古い型のNMR分光計と同じような設計になっています。そのため、電磁石装置の重量が200kgを超え、数kWの電力を要することから、可搬性に関して大きな問題を抱えています。
しかし、小型で強力な希土類磁石と低電力電磁石コイルを搭載したブルカーのmicroESRであれば、そうした問題を克服できます。サンプルは高Q値共鳴キャビティにセットします。この共鳴キャビティは従来のシステムに比べて「曲線因子」が大きくなっています。これにより、高い感度と優れた分解能はそのままに装置のサイズが1/100に小型化されています。マイクロ波ブリッジとレシーバーの設計にも、抜本的な改良が加えられています。これらに使用されている最新の低コスト集積部品は、無線通信機器に使用されている部品と同様のもので、従来のESRの部品よりも小型で安価になっています。こうした技術改良によって、特別な施設を要する大型のESRシステムから、研究現場でも利用できる小型で可搬性のある万能装置へ製品開発の方向性が転換することとなりました。
潤滑剤に含まれる抗酸化物質の研究
昨今の潤滑剤には、耐用年数を延長するために酸化防止剤が添加されています。こうした酸化防止剤は、多くの場合、フェノールやアミン、あるいはそれらを混合したものです。潤滑剤が熱や酸化によって分解にはフリーラジカルが関係するため、関連している反応メカニズムを理解したり潤滑剤の製剤法を改良したりする上でESRは理想的なツールになります。一般的な添加剤は識別可能な安定ラジカルを発生するので、ESRで容易に観測できます。表1は、ESRで検査可能な一般的な潤滑剤用抗酸化物質の例を示しています。
ESRは、潤滑剤中の抗酸化ラジカルの経時変化を直接測定するのに特に有効です。図2のように、抗酸化ラジカルの痕跡が変化する様子を確認するために、長時間にわたって液剤を観察することが可能です。
図2のESR信号からは、ヒンダードポリオールエステル潤滑剤中の酸化防止剤の反応が読み取れます。加熱する前の潤滑剤からは、安定ラジカルのニトロキシド(A)が発するESR信号が検出されています。潤滑剤が100℃以上に加熱されると、ニトロキシドラジカルの信号が消えて、アミンラジカルの信号(B)が発生します。酸化防止剤は熱酸化分解によって発生するラジカルと反応して、ラジカルのレベルを低く安定した状態に維持します。アミン添加物が減損すると、熱酸化分解産物(C)からの信号の強度が急激に上昇します。図3は、潤滑剤の加熱時間に応じたESR信号の変化を経時的に表したものです。熱分解産物は、酸化防止剤が減損すると直ちに増加します。300℃で5時間加熱後、信号(C)の振幅は信号(B)の振幅の34倍に増大しています。
添加剤のガルビノキシルは安定ラジカルの一種で、加熱しなくともESRアクティブです。ガルビノキシルラジカルはESRで簡単に定量可能で、酸化防止剤の経時的な消費量を測定できます。半減期が短くて直接観測できない他のフリーラジカルの検出や、混合物中に存在する他の化学種の同定は、スピントラップ剤を使用すれば可能で、ラジカル反応のメカニズムの理解に有効です。こうした知識は酸化防止剤を開発する際に役立ちます。
参考文献
[1] Kagan,V., Serbinova, E,. and Packer, L., Archives of Biochemistry and Biophysics, 280(1), 33-39 (1990).
[2] Van den Hoek, W.J., “Electron Spin Resonance Studies on Dynamic Processes in Some Phenoxy Radicals”, Ph.D. Thesis, 1972.