「…対側および同側の大脳半球で、虚血性障害が誘発する代謝変化に違いがあります」
脳卒中の一つである脳虚血は、脳の一部への血液供給が遮断されることであり、その部分の酸素と栄養が欠乏した状態になります。脳組織は代謝に必要なエネルギーが不足することで死滅するため、脳卒中では罹患率および死亡率が上昇します1。脳虚血の症状には、視力障害、浮動性眩暈、協調運動障害、筋力低下または麻痺、発話困難等があります。血液供給が速やかに回復すると、これらは一過性の症状で収まることもありますが、大半は生涯を通じて生活機能障害を伴うと考えられています。
脳虚血によって、様々な代謝および生化学的な変化や、電解質およびフリーラジカルの濃度変化が生じます。この変化によって脳組織が死滅し、脳卒中による症状を引き起こすとされています。この変化の解明に着目した多くの研究が行われており、真相をより深く理解することで、高度な治療方法の開発が期待されています2。虚血領域で発生する症状の複雑な連鎖に加えて、脳虚血後に発生する障害は、脳から大きく離れた部位でも確認されることがあります。この現象は遠隔障害として知られ、衝撃応答の一つと考えられています。
脳内の酸素と栄養の不足が引き起こす代謝障害の調査において、脳全体の代謝評価が求められているのはこのためで、虚血した患部の評価のみでは不十分と考えられています。脳虚血後の代謝変化は、磁気共鳴イメージング(MRI)やポジトロン断層撮影(PET)などの画像化技術を使用することで、測定に成功しています。
小脳遠隔障害については十分に研究が行われており、中大脳深部動脈領域の閉塞が、同側の大脳半球における機能障害を引き起こすことが確認されています3。その一方で、希少病である大脳半球間遠隔障害に関する研究は、殆ど実施されていません。従って、一方の大脳半球で発生した虚血性障害が、もう一方の大脳半球の遠隔障害を誘発することは確認されていませんでした。
最近、メタボロミクスの手法で、大脳動脈閉塞に罹患したラットの脳の左右大脳半球における代謝変化が調査されました4。膨大な種類の代謝物を同時に定量するために、1H 核磁気共鳴(1H NMR)分光法が採用されました。Bruker AVANCE™ III 600 MHz NMRを使用した分析によって、代謝物の濃度変化が解明され、虚血性側および対側の大脳半球の両方で生化学的変化が生じたことが示されています。
代謝物への影響は異なるものの、大脳半球の双方で嫌気性解糖の増大と神経伝達物質の不均衡が認められました。観測された特徴の変化は、対側の大脳半球に見られた症状が他方の大脳半球で起きた虚血の結果であることを示していました。
つまり、この研究は脳虚血後の大脳半球間遠隔障害の発生を裏付けています。さらに大脳の代謝物分析は、脳虚血の生化学的メカニズムと脳の遠隔領域に見られる症状の把握に有効なツールとなることを立証しています。
参考文献