高磁場、高インパクト:フィレンツェ大学CERMのNMR協力体制によるCovid-19タンパク質研究の強化

イタリア・フィレンツェ大学CERMのLucia Banci教授率いるチームは、50人以上のNMR専門家からなる国際的な協力体制のもと、SARS-CoV-2タンパク質の構造決定に貢献しています。

最近、ブルカー社の1.2GHz NMR装置を導入したことにより、原子レベルでの相互作用に関する詳細な情報が得られるようになり、創薬設計や最適化、SARS-CoV-2に対する抗体検証、バイオ医薬品の高次構造(HOS)に対する革新的なアプローチの開発に貢献できるようになりました。

Lucia Banci教授の研究ストーリーは、使用するNMR装置の性能の進化と、研究対象とする分子システムのスケールの進化という、2つの進化に関する内容です。現在彼女が使用している1.2GHzのシステムは、1970年代に彼女が初めて使用した60MHzのNMRとは大きく異なり、30〜40kDaのタンパク質の構造と相互作用に関する彼女の最近の研究は、低分子や低分子の複合体に技術が限られていた時代には想像ができないものでした。

生化学における金属イオンの重要な役割

Banci教授の45年にわたる研究の多くは、金属イオンという一つのテーマに集約されます。生命科学の多くの分野で進歩を遂げるためには、これらを深く理解する必要があると、彼女は強く信じています。「タンパク質の3分の1以上が機能するために金属イオンを必要とし、多くの生物学的プロセスの中心を構成しています。金属イオンの輸送は厳密に制御されており、多くの場合、弱い一過性のタンパク質-タンパク質相互作用によって媒介されている。」と指摘しています。この確信は、常磁性金属タンパク質1 の溶液構造を初めて決定したこと(当時は不可能と考えられていた)から、金属を含むタンパク質の分子動力学的アプローチの考案2、チトクロムC酸化酵素における銅の移動の詳細の解明3など、この分野への長年の関心から生まれたものです。

Banci教授は無機化学を専攻し、当初は電子スピン共鳴(ESR)を用いて金属イオンとその錯体の磁気特性を研究していました。しかし、NMRの威力と汎用性を知るまで、そう時間はかかりませんでした。「研究の初期には、原子レベルの分解能で構造を決定しようとすると、X線結晶構造解析が常套手段でした。しかし、そのためには結晶が必要でした。一方、NMRは、新しい実験技術によって、溶液中の複雑な構造を決定できる可能性があり、より汎用性が高いと思われました」。


Prof. Dr. Lucia Banci
is Professor of Chemistry at the University of Florence, and one of the founders and Director of the Center of Magnetic Resonance (CERM). She is also the Head of the Italian Core Center of the Integrated Structural Biology Infrastructure’s Research Infrastructure Consortium (Instruct-ERIC), and a member of the Instruct-ERIC Executive Committee and Council.

構造生物学研究におけるNMRの多用途性

NMRの実験プロトコルが発展し、今日のような詳細な考察が可能になったことで、この初期の気付きが的確であったことが証明されています。Banci教授は、初期の研究の基礎となった単純な低分子研究から、その後多くの貢献をした、最もエキサイティングな多くのアプリケーションまでを見て来ました。NMRは、医薬品、金属タンパク質、ワクチン、新素材、RNA、固体物質の特性評価や、巨大複合体の相互作用、タンパク質の折り畳み、成熟型、金属取り込みの理解などに利用されています。 

「生物学の分野だけでも、NMRは非常に広い応用範囲を持っています」と彼女は述べています。「NMRは、柔軟性、可動性、相互作用、そして特に私にとって画期的だったのは、生きている細胞内の分子を研究することができることです」4。後者は、個々のタンパク質やタンパク質複合体を生きたヒト細胞で研究するもので、Banci教授はこの分野の発展に貢献しました。特に、タンパク質をヒト細胞で直接効率的に発現・標識し、生産したヒト細胞でヒトタンパク質の特徴を明らかにしました。このアプローチにより、病態で起こるような金属イオンの取り込みとその障害から、タンパク質の酸化還元状態を決定する因子やタンパク質の折り畳みのプロセスまで、いくつかのプロセスについて記述し、体系化することができました。

Banci教授が言うように、「In-cell NMRは、2つの分野の橋渡しをするものです。生物学的な研究では、細胞環境は維持されていますが、原子レベルの情報は不足しています。従来の構造解析では、分子構造の詳細はわかりますが、生物学的な背景がわかりません。」In-cell NMRの特徴は、生体分子が自然環境にある時の詳細な構造情報を得ることができる点です。このことは、医薬品開発の初期段階、特にスクリーニングにおいて非常に有用です5。例えば、タンパク質が薬物とどのように結合するかを観測したり、あるタンパク質が他の薬物よりも優先的に結合する理由を調べたりすることができます。」

Figure 1: Network of proteins involved in copper transport and insertion. Top panel: proteins for which the structure has been solved and the interaction determined. Bottom panel: thermodynamics of the copper binding.

興奮と挑戦:新しいBruker 1.2 GHz装置の設置

このようなNMRアプリケーションの開発と並行して、装置の威力も進化しており、2020年にCERM(Center of Magnetic Resonance)で12台となるNMRが設置されました。このブルカー製1.2GHz NMRについて、Banci教授は熱く語っています。

「新しい装置を入手した時は本当に興奮しました。この装置は世界で初めて設置され、非常に注目されました。また、設置開始直後にパンデミックによるロックダウン規制が実施されたため、かなり困難な作業となりました。スタッフ数の減少、ヘリウムの配送の遅れ、ケータリングの手配の中断など、物流上の問題に対処しなければなりませんでしたが、ブルカーのエンジニアの専門的な支援により成功し、4月の初めには装置が稼働できる状態になりました。」

Banci教授は、Covid-19タンパク質の構造と抗体に関する自身の研究に使用するだけでなく、EU内の他のグループにも1.2GHzの装置を利用できるようにしていると説明します。「ロックダウンが続いている間も、私たちはサンプルを受け取り、データを取得し、結果を送信していました。この装置は止まっていませんし、私たちも止まっていないと思います。」

そんな中、彼女はシステムの性能にとても満足しています。「スペクトルが美しいのです。高磁場とクライオプローブの組み合わせにより、絶妙な分解能と感度が得られます。つまり、生きた細胞で見られるような濃度で測定できるため、より生物学的に適切な知見を得ることができるのです」。

Figure 2: The 1.2 GHz Bruker cryoprobe NMR spectrometer at CERM is the first of only three of its kind globally and was installed in April 2020.

Covid-19禍での迅速かつ効率的なコラボレーション

CERMの1.2GHz装置の主な用途は、Covid-19 NMRプロジェクトの一環として、SARS-CoV-2ウイルスに含まれるタンパク質の構造について、より多く発見することです。このプロジェクトは、世界中の50以上の研究グループからなるコンソーシアムで、NMRを用いてSARS-CoV-2のRNAとタンパク質の特性を明らかにし、Covid-19を治療するための医薬品開発に役立てようとするものです。

コンソーシアムを率いるのは、Banci教授が以前から親交のあったドイツ・フランクフルトのゲーテ大学のHarald Schwalbe教授です。「パンデミックが始まったとき、私はすぐにNMRがウイルスに関連するいくつかの研究分野に対応できる可能性があることに気付きました。私はHaraldをよく知っていますが、話し合いの結果、NMRを使ってこれらの問題に取り組むコンソーシアムを立ち上げることで多くの情報が得られるということで意見が一致しました。」

彼女はこのコンソーシアムを通じて、タンパク質やRNAの構造決定に必要な、作製、標識、NMRデータの取得、帰属などの様々なステップについて、効果的なプロトコルを設定することができたと説明しています。「このおかげで、新しい変異体に関する疑問に最短2週間で対応できるプロセスを持つことができ、これは私たちにとって大きな成果です。さらに、1.2 GHz Bruker システムを使用して、現在 SARS-CoV-2 タンパク質の特性を詳細に調べ6,7 、天然リガンドと既存の医薬品の両方の効果を調べ、ウイルスの増殖を阻害するかどうかを確認しています。」 と述べています。

この研究をコンソーシアムで行うことで、他の手段よりもはるかに早く進展させることができたと、彼女は説明しています。「材料や実験プロトコル、結果を共有し、それぞれの専門知識や装置を最大限に活用することで、相乗効果を得ることができるのです。これは、結果を得るために非常に効果的で時間効率の良い方法です。」

この成功に欠かせないのが、データ管理だとBanci教授は述べています。「Covid-19のような緊急の研究課題に対応するためには、迅速に動くことが必要であり、そのためには他の研究者がデータを迅速に利用できるようにする必要があります。しかし、それと同時に、正しく管理され、アーカイブされなければなりません。正しいデータが整理され、検索可能でなければ意味がないのです。これは、生体分子の研究から非常に大きなデータセットが作成されるNMRに特に関連することであり、科学界全体が慎重に考慮しなければならない側面だと思います。知識を素早く発展させるためには、科学データを管理し、それを必要とする人と共有するための効率的なシステムが必要なのです。」

Figure 3: 1.2 GHz 3D triple resonance spectra of SARS-CoV-2 Nsp3b protein (left) and spectral effects due to ADP-ribose binding [6].

今後の研究:ウイルス-宿主間相互作用と新型SARS-CoV-2亜種

この1年半を振り返って、Banci教授は、このコンソーシアムは、熱心な科学者の幅広いネットワークが、特定の課題の解明に協力できることを示す、非常に成功した例であると結論付けています。「Covid-19 NMRの例は、他でも参考にするべきだと思います」と、彼女は述べています。「それぞれの強みを組み合わせることで、個々の研究グループ内でできることよりもずっと多くのことを成し遂げることができるのです。」

そして、SARS-CoV-2に関するさらなる考察を得るために、研究を継続します。「次のステップは、ウイルスの構成要素と宿主との間の相互作用をさらに深く掘り下げ、変異体や突然変異体に関する課題に取り組むことです。」

彼女は「このコンソーシアムを通じて、NMRは分子レベルで起こっていることを理解するために必要な原子レベルの分解能を提供し、多面的な課題に対処できることが示されました。NMRは汎用性が高いため、この素晴らしい技術が将来にわたって、多くの研究分野で重要な科学的考察を与え続けると確信しています」と結んでいます。

Banci教授のグループの活動については、https://www.cerm.unifi.it/about-us/people/lucia-banci をご覧ください。

Covid-19 NMRコンソーシアムの詳細については、https://covid19-nmr.de/ をご覧ください。

参考文献

  1. Banci L et al. The three-dimensional structure in solution of the paramagnetic protein high-potential iron-sulfur protein I from Ectothiorhodospira halophila through nuclear magnetic resonance, Eur J Biochem, 1994; 225: 715-725.
  2. Banci L, et al. Mitochondrial copper(I) transfer from Cox17 to Sco1 is coupled to electron transfer, Proc Natl Acad Sci USA, 2008; 105: 6803-6808.
  3. Banci L, et al. Molecular dynamics of metallo proteins, In: Molecular Modelling and Dynamics of Bioinorganic Systems, Dordrecht, The Netherlands: Kluwer academic publishers, 1997.
  4. Banci L, et al. Atomic-resolution monitoring of protein maturation in live human cells by NMR, Nat Chem Biol, 2013; 9: 297-299.
  5. Luchinat E, et al. Drug screening in human cells by NMR allows early assessment of drug potency, Angew. Chem. Int. Ed., 2020; 59, 6535 –6539.
  6. Cantini F, et al. 1H, 13C, and 15N backbone chemical shift assignments of the apo and the ADP-ribose bound forms of the macrodomain of SARS-CoV-2 non-structural protein 3b. Biomol NMR Assign, 2020; 14: 339–346.
  7. Gallo A, et al. 1H, 13C and 15N chemical shift assignments of the SUD domains of SARS-CoV-2 non-structural protein 3c: “The SUD-M and SUD-C domains”, Biomolecular NMR Assignments, 2021; 15: 165–171.

CERMについて

磁気共鳴センター(Center of Magnetic Resonance, CERM)は、Sesto FiorentinoのPolo Scientifico(科学キャンパス)にあるフィレンツェ大学の研究、知識移転、高等教育のための研究センターです。欧州委員会、イタリア大学・研究省、トスカーナ州政府の支援を受け、ライフサイエンス分野におけるNMRの研究インフラとして運営されています。CERMは、ESFRIのランドマーク研究インフラストラクチャーであるInstruct-ERICのイタリア拠点です。CERMは、大学間コンソーシアム金属タンパク質磁気共鳴(CIRMMP)とインフラを共有しており、3,000平方メートルの敷地に多数の研究室、オフィス、共有ルームを擁しています。世界最大の磁場範囲(1.2GHz)を持つNMRは、世界でも有数の設備を誇る研究所の代表的なものです。 

CERMの詳細については、https://www.cerm.unifi.it/ をご覧ください。 

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